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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)8835号 判決

原告 沖山一二

右訴訟代理人弁護士 小林忠雄

被告 林仁作

右訴訟代理人弁護士 小林賢治

主文

被告は原告に対し昭和三八年五月一日以降同年一一月六日まで一ヵ月金四〇、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告は原告に対し別紙目録(一)記載の建物を明渡し且つ昭和三八年五月一日より明渡ずみに至るまで一ヵ月金四〇、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として原告は昭和三三年一一月七日別紙目録(一)記載の建物(以下本件建物という)を被告に対し期間二年賃料一ヵ月金三三、〇〇〇円で賃貸し、昭和三五年一一月七日賃料を金三七、〇〇〇円に改めて期間を一年延長し、翌三六年一一月更に一年更新し、翌三七年一一月六日賃料を一ヵ月金四〇、〇〇〇円に改めて期間を一年間更新した。しかし、原告は本件建物を次に記載するように自ら使用する必要があるので昭和三八年四月二〇日被告に対し更新を拒絶した。即ち、

(一)、原告は現在別紙目録(二)記載の建物を訴外谷中晃三より期間の定めなく賃借しているが、同人は住居の建て直しのため昭和三七年一〇月頃から原告居住の家屋の明渡を求め翌三八年八月一日立川簡易裁判所に原告を相手方として調停を申立て、同年九月一三日の期日において原告は谷中に右建物の借家契約を解除し昭和三九年九月一二日までに明渡をすべく、それまでの賃料支払義務の免除をうけ右期日に明渡できないときは一日金一、〇〇〇円の割合による損害金を支払うことを約した。

(二)、原告は両人工的無水晶体症にかかり両眼が失明同様となり、働くことができなくなつたので原告の妻が本件建物で飲食店を営み、これにより孫を含めて三人の生活を維持しなければならない。

(三)、被告はその妻かつ名義で昭和三八年三月九日横浜市神奈川区西寺尾町字内路九四〇番地に木造瓦葺二階建居宅一棟建坪計七七、四〇八平方メートルの建物を建築所有し被告の妻子三人と共に居住している。

よつて本件家屋の賃貸借契約は昭和三八年一一月六日限り期間満了により終了したので原告は被告に対し本件建物の明渡しと同年五月一日以降右契約終了の日まで一ヵ月金四〇、〇〇〇円の割合による賃料およびその翌日以降明渡までこれと同じ割合による遅延損害金の支払を求めると述べ、

立証≪省略≫

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁として請求原因として原告が主張する事実のうち被告が本件建物を原告主張の頃、その主張の約定で原告から賃借したこと、及び原告主張のように賃料が改められ、かつその更新をしてきたこと、昭和三八年六月三日原告主張の更新拒絶の意思表示がなされたこと、被告の妻かつが原告主張の如き建物を所有し被告及びその妻子が居住していることはいずれも認め、その余は争い原告主張の調停は第一回期日に契約解除の合意が成立しているので谷中と原告と通謀して本件建物の明渡を求めるためなされた虚偽の調停であり、原告は本件建物を昭和三六年頃被告に対し買いとるよう申入れたり昭和三七年一一月六日には賃料四〇、〇〇〇円と値上げのうえ本件建物の賃貸借契約を更新しており、本件建物を必要とする理由は原告にはないと述べ、

立証≪省略≫

理由

原告がその主張の頃、その主張する約定で本件建物を被告に賃貸し、原告主張のように賃料が改められその契約が更新されてきたことおよび昭和三八年六月三日更新拒絶の意思表示がなされたことは当事者間に争いがない。そこで更新拒絶の正当事由の存否について判断する。

≪証拠省略≫並びに原告本人尋問の結果によると訴外谷中晃三は原告に対し別紙目録記載第二の建物を賃貸していたこと、同訴外人はそのほかにも同じ位の大きさの貸家を隣接して五軒もつていること、同人は父の営む履物屋の店舗の一部を使用して昭和三六年四月頃より米穀商を営んでいたが、この自宅は古く、また手狭でもあつたので、これを取毀し新しく建て直してこれを二区画に仕切つて右の二つの店舗にしようと計画し、その工事のため一時引越し先を必要としたこと、そのため原告に対し昭和三八年四月二四日頃単に「自己使用の要あり」として六ヵ月後に明渡すよう内容証明郵便で解約の申入れをなし、ついで昭和三八年八月立川簡易裁判所に右明渡の調停を申立て、同年九月一三日第一回調停期日において原告主張のような調停が成立したこと、この調停の成立にあたつて原告は右裁判所に出頭せず、かつ谷中が隣接の貸家について明渡を求めているのか否かについても関心なく、これをきいてもいないし、また被告との本件家屋の明渡についても後記の経過をたどつている段階であつてその話し合いが早急につくものとは考えられず、したがつて引越し先について全くめどがついていないのに右調停は僅か一時間の話合いで成立した事実が認められ、これに反する証拠はない。右認定の事実によれば谷中が引越先を必要とする理由は僅に数ヵ月と予想される改築工事期間に限られるものであるのみならず、引越し先のめどもなく一年後に明渡することを第一回の調停期日に約したことは原告にとつては自ら招いた緊急事態といわねばならず、被告の損失において解決すべき筋合いではない。

第二に、原告の家庭生活の維持について判断すると、≪証拠省略≫によると、原告は約一五年間東京府庁に勤め、昭和九年これをやめてから競馬の予想屋をしていたが、五、六年前家出していた長男の乱行に耐えかねて妻と現在小学校四年になる右長男の子とともに本件建物より姿をかくすために府中にある前記現住所に引越したこと、原告は現在六九才になり、両人工的無水晶体症にかかり視力がおとろえ、このため通常人として働けなくなつたので、現在六五才になる原告の妻をして本件建物でそば屋を開業せしめて家計を建てようと考えるに至つたこと、本件建物の附近は工場地帯であり、附近に飲食店がないことが認められ、また他方、原告は昭和三六年頃地主に本件建物の改築の承諾を求めたところ、敷地を買つてくれと云われたので、いつそ本件建物を売つて他にアパートを建築しようと考えるに至つたこと、昭和三七年頃本件建物を買いたい人が現われたので、このことを同年三月頃被告に伝え、居住している被告には坪当り三〇万乃至三五万円で買わないかとすすめたところ被告は二五万円位なら買おうといつたまま値段がおり合わず、そのままとなつていたこと、そしてその間前記争のない事実のとおり昭和三七年一一月には賃料が一ヵ月金四〇、〇〇〇円に改められて更に一年の期間更新されたこと、そのうち地主が急ぐので原告は昭和三八年四月頃被告に明渡しを求めたところ、被告は再び敷地の買取りを希望し、これに対し原告は坪四〇万円位でなら売つてもよいと返答したが、間もなく地主より土地は売らないといわれてこの売買の話は中絶してしまつたことが認められ、これらに反する証拠はない。そしてこれらの事実を総合すると、原告は昭和三八年四月頃までは本件建物を被告に、又は明渡を求めたうえ第三者に売却することを考えており、本件建物でそば屋を開業する計画はそれまでは考えていなかつたものであるところ原告がいまこの商売を始めるには、自らもその妻も共に六五才を超え、今までの経歴、経験とは全く関係のないもので、そのうえ商売を手伝つてくれるべき同居の家族はなく、一方被告からえていた毎月四〇、〇〇〇円の家賃は小学校四年生の孫と老夫婦三人の家計を維持するにはさしたる困難が伴うとは到底考えられず、この安定した収入をすててまでそば屋を始めることは余りにも現実性に乏しいといわねばならず、被告がその妻名義で横浜市に建物を所有し、これに家族を居住せしめ、本件建物を専ら紙卸商の営業用としてのみ使用しているとしても、右のように原告の計画が現実性に乏しい以上、原告にはいまだ本件建物の賃貸借期間の更新を拒絶しうる自己使用の必要性その他正当事由ありということはできない。そうだとすると、本件建物の賃貸借は法定更新せられたものであるから、これが終了を前提として本件建物の明渡しと昭和三八年一一月七日以降の遅延損害金支払の請求は理由がないのでこれを棄却すべく、同年五月一日以降同年一一月六日までの一ヵ月金四〇、〇〇〇円の割合による約定賃料の支払請求については、被告においてこれが弁済その他消滅事由について主張がないので理由があり、これを認容し、この部分のみについては仮執行の宣言は必要ないものと認め、訴訟費用の負担については民訴法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三好徳郎)

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